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2006年10月22日 (日)

ヒューリスティクスとバイアス

この前のエントリで「障害競走はデータでみると印象ほどには危なくない」ということを書きましたが、ではなぜ多くの人が障害競走は危ないと思うのでしょうか。

「行動経済学 経済は「感情」で動いている」(友野典男著、光文社新書)に「ヒューリスティクスとバイアス」という章があります。ヒューリスティクスというのは聞きなれない言葉ですが、同書では以下のように説明されています。

ヒューリスティクスは、問題を解決したり、不確実なことがらに対して判断を下す必要があるけれども、そのための明確な手掛かりがない場合に用いる便宜的な発見的な方法のことであり、日本語では方略、簡便法、発見法、目の子算、さらには近道などと言われる。

わかりやすくいえば、なにか不確実なものを推論する場合、人は確率に基づき客観的に物事を判断することもありますが、いつもその客観的な確率が入手可能ではないため、過去の経験などに基づき「直感」によって判断することがあり、この直感がヒューリスティクスということになります。

たとえば、「あるい事象が出現する頻度や確率を判断するときに、その事象が生じたと容易にわかる事例(最近の事例、顕著な例など)を思い出し、それに基づいて判断すること」(前掲書)もヒューリスティクスの一つです。このように判断は、便利ではありますが、客観的な確率に基づいたものではないため、判断が偏る(バイアスがかかる)ことがあります。

我々が「障害競走は危ない」と判断するのも、ヒューリスティクスを用いた結果、判断にバイアスがかかっていると考えることができます。障害の危険性を判断するとき、我々の頭には、映像的にも衝撃的であるため、かつて目撃した障害飛越の際の落馬が思い浮かび、それに基づいて障害競走は(客観的な確率以上に)危険であると判断してしまうわけです。おもしろいですね。

出資馬を検討するときに「フサイチコンコルドの産駒にはバランスオブゲームやブルーコンコルドがいる。だからこの馬も走ってくれるだろう」と考えるのも「顕著な事例を参照してその事象が起きる確率を客観的な確率以上に見込んでしまう」という、ヒューリスティクスを用いて判断にバイアスがかかってしまった例でしょう(私が出資したマイネルレモリーノはその顕著な例?)。

ただしヒューリスティクスを用いることは判断を誤らせる悪いことかというと、必ずしもそうではなく、有用だからこそ人は重宝しているわけです。例えば、障害競走は危険であるという判断は、おそらく平地競走との比較では程度の差こそあれ、おそらく障害競走の方が事故発生率は高いでしょうし(注)、それが瞬時に判断できるのですから、ヒューリスティクスは便利なものです。実際、今年行われた全ての障害競走のデータを調べるのには、インターネットやPCを使っても随分時間がかかりましたが、それにかけたコストと直感によって得られた認識の差異を考えると果たして調べる価値があったかどうか・・・。

(注)アメリカでは平地競走で致命的な(競走馬が予後不良になる)事故は1000出走あたり1~2回だそうですが、日本の障害競走の場合はJRAが発表している疾病の内容から判断するとそれより多そうです。

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