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2008年2月19日 (火)

国家は、いらない

No_need_for_the_state 東洋経済の書評でとりあげられていたので読んでみました。

「国家は、いらない」(蔵研也著、洋泉社ペーパーバックス、952円+税)

普通、市場経済に任せていては格差が拡大したり公共財が供給されなかったりするため、政府が規制を設けて経済的弱者を保護したり、公益事業を行ったりします。

ところが、本書では、その規制や公益事業のために保護されるべき経済的弱者が不利益をこうむっている実態がエビデンスとともに明らかにされます。

例えば、電力やガスは新規参入が規制されているために電力会社やガス会社の一社独占のため諸外国よりも国民は高い料金を払わされており、農業保護政策によって自由化した場合に比べて米は8倍、小麦は2.5倍も高くなっており、結果的に低所得者層を直撃しています。

さらに、私が驚いたのは、累進性があるとされる税制でも、多様な控除制度があるため、実際には8割もの日本人が最低税率にあること、年収が1000万円以下の場合は所得があがるほど実効税率は低くなっているという事実です。

どうしてこういうことになってしまうのか?

それは民主主義の過程で、公益を主張する力の強い人々が政策の意図を捻じ曲げしまうからだと著者はいいます。

しかし、公共選択の理論が明らかにしているように、ほとんど定義によって、弱者が使える資源に比べて、強者の使える資源のほうがはるかに多い。

自分が強者であれば、弱者保護政策の名の下に税金をとりあげられるのを等閑視するはずがないのだ。政治家にロビー活動をして、弱者保護は経済成長に不利であることを説得したり、あるいは税制に実質的な抜け穴をつくってもらおうとするだろう。

結果、弱者保護は民主主義の政治過程のなかでほとんどが骨抜きにされることになってしまう。
(第10章 真の公益性を実現するのは誰なのか P229-230)

ではどうすればよいのか。

著者は、弱者を直接に金銭補助し、それ以外の政策はその制定過程で強者の介入や官僚のお手盛りが発生して弱者を踏みつけにするので一切廃止すべきと主張します。

それ以外の、政府が従来供給してきた公共的な活動は、自発的な団体がやるほうがモチベーションにおいてもやり方においても政府よりも効率が高いのでこれらに任せるべきである、とも。これは、例えば開発援助は、政府が納税者から集めた税金でODAとして実施するよりも自発的な団体である開発NGOなんかがやったほうが効率的かもしれない、ということですね。(注:この例は私が考えたもの)

かなりラディカルな議論ですが、なるほどと思わせるところが多分にあります。大変勉強になりました。

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