災害義援金
2004年のインド洋津波災害のあと、多額の寄付金・義援金が集まったことを受けて、各国の援助関係者は、「市民社会の開発に対する関心は高いことが証明された」、「この関心を津波だけでなく、一般の開発問題にもつなげるべきだ」と盛んに言っていました。
こうした議論を聞きながら、当時私は、人々の寄付行為を恒常的な財源として期待するのは現実的なのだろうか、と違和感を感じていました。
5月13日付のヤバい経済学ブログに「あなたの利他的動機はどの程度純粋か?」と題したエントリがありました。
これによれば、アメリカでは2004年の津波(22万人が死亡)の際には19.2億ドル、2005年のハリケーン・カトリーナの被害(1,577人が死亡)の際には53億ドルの義援金が集まりましたが、2006年に発生したパキスタン地震(7万3,000人が死亡)の時には、その額は1.5億ドルに過ぎなかったそうです。
自然災害による被害ということでそれぞれの出来事は共通しており、人々が純粋な利他心を持っていれば、このような差はでないはずです。
ヤバい経済学ブログでは、義援金の額は、マスコミの取り上げ具合によって大きく変わるという研究結果を引きつつ、今のアメリカでは、大統領選挙の前であること、アジアは地理的にアメリカから遠いことなどの理由により取り上げる頻度は多くはならないだろう、との考えのもと、今回のミャンマーのサイクロン災害、中国の四川大地震に対して集まる義援金の量は多くはならないだろう、と予想しています。
また、別の研究結果として、個別訪問による募金集めの実験において、最も募金を集めたのは魅力的なブロンドの女性であったという、ある意味、身も蓋もない事例を引きつつ、我々は、寄付をニーズに基づいて盲目的に行っていると考えがちだが、実際にはそうではない、純粋に利他的な動機というものは存在せず、あるのは「不純な利他的動機」(「正しいことをすることに満足を覚える」という間接的な動機)なんじゃないか、としています。
この記事を読んで、冒頭で述べた私の違和感の理由がわかった気がしました。つまり、人々の利他心というものは確かにすばらしいけれども、テレビの映像や取り上げの頻度などの要因に大きく左右されるので、緊急支援のみならず、恒常的に資源移転が必要な開発の安定的な財源として期待するのは楽観的なのではないか、ということです。
もちろん、このことと災害時の義援金の重要性は別の議論で、私も今日、子供が通っている小学校で行われていたミャンマーのサイクロン被害の募金になにがしかを投じたところですが、これを平常時のファンド・レイジングに進めていくには工夫が必要なんだな、と感じた次第です。それがブロンドの美女なのかどうかはわかりませんが…。
それにしても中国の地震はひどい。アメリカではどうかわかりませんが、日本は隣国ですし、地震についてはひとごととは思えないので、義援金は多く集まるのではないでしょうか。
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