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2008年5月 2日 (金)

アメリカの平和部隊を巡る議論

日本で国際協力といえば、まず頭に浮かぶのが青年海外協力隊です。知名度、好感度ともにナンバー1でしょう。私も何人か協力隊経験者の友人がいますが、途上国の農村部で現地に溶け込んでいい仕事をしており、彼らには常に畏敬の念をもっています。

さて、アメリカでは青年海外協力隊に相当する平和部隊(Peace Corps)というものがあります。

青年海外協力隊同様、知名度、好感度ともに高いようですが、Foreign Policy誌に「平和部隊を再考する」という批判記事が掲載され、それに平和部隊経験者がコメントを多数寄せるなど、ちょっとした話題になっているようです。

批判記事の骨子は以下のとおりです。

  • 平和部隊はアメリカ外交の武器になっていない:平和部隊は外交当局とは独立した組織となっており、短期的な外交目的に従っていない。そもそも、途上国の受益者たちは平和部隊がアメリカから派遣されていることを意識していない(ひどい場合にはフランスや日本から来ていると勘違いしている)。
  • 平和部隊は必ずしも優秀な人間を採用していない:最低限の基準さえクリアすれば現地に送り込んでいる。
  • 平和部隊は必要のないところに送り込まれている:必ずしも開発ニーズが高いところに多く送り込まれているわけではない。だれかがある国に対する派遣人数を決めて、その妥当性を問おうとはしない。
  • 平和部隊は開発援助機関ではない:著名な開発協力に関する本を開いても平和部隊への記述は全くない。これは平和部隊が開発協力のモデルとは程遠いことを示している。平和部隊は「開発」の側面と「平和と友情」の構築という側面のどちらを優先するかを決めかねている。
  • 平和部隊は必ずしも現地で歓迎されているわけではない。
  • 平和部隊には派遣人数の計画はあるが戦略がない:成功に関するベンチマークが設定されていない。その結果、カメルーンでは40年以上も前のプログラムが今も継続しているが、真っ当な開発援助機関であれば外部からの援助プログラムが40年も継続して実施されなければならないとすれば、何かが間違っていると考えるべきである。

こうした問題点を指摘しつつ、記事は、優秀な人材のみをリクルートし、開発意欲の高い国に集中的に派遣し、援助効果を出すべきであると締めくくっています。

私は、青年海外協力隊というスキームの評価について必ずしも明るくありませんが、上記の平和部隊に対する指摘のうち、いくつかについては協力隊にも当てはまるのではないかと思っています。

特に「平和部隊は開発援助機関ではない」という点について、青年海外協力隊が日本の援助に関する政策文書に登場することは少なく(ODA大綱にも中期政策にも協力隊の文字は出てきません)、また、個別の素晴らしいエピソードはあってもそれが当該国の経済社会の発展にどのようなインパクトを与えたのか、という評価についてもまだ十分になされているわけではないように思います。

財政状況が厳しく、ODA予算についてもその効果的執行が求められているなかでは、スキームの如何を問わず、「援助効果」がどれだけ上がっているかを定性的・定量的に示すことが必要です。

すでに資金協力と協力隊のコラボレーションとして、スリランカのルナワ湖周辺生活環境改善事業の例などがありますが、今後はこのように協力隊と他の援助スキームを組み合わせて個々の協力隊員の頑張りをインパクトして増幅させる仕組みが求められてくるのではないでしょうか。

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