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2008年9月 3日 (水)

開発援助なかりしころ

フランスAFDセヴェリーノ総裁と同ジャッケ理事による「借款か贈与か:どのように援助するか」という論文(少し読みにくいですが必読です)に、以下のくだりがあります。

国際間の資本フローは19世紀に全盛を極め、国際間の融資活動もすでに数世紀来の歴史があったが、当時においては開発援助という概念はほとんど取り沙汰されていなかった

外国あるいは、外国の特定機関からの資金調達は、長い間にわたり民間資本に依存してきたし、資金の譲許性に対する配慮が伴うこともなかった。このような融資は1920年代までは、まずもって個人投資家(ポートフォリオ投資)による債券購入の形で行われた。

投資家は外国債券を自国債券の投資リターンと比較し投資機会を判断した。このため、世界恐慌が起きる1929年の前までは債務支払能力のある国の政府は、教育事業などリターンが非常に遅い事業も含め、あらゆる事業および支出項目の資金を資本市場で調達することができた。

開発途上国というと民間金融機関のフィールドではなく、ましてそこでの教育事業なんて世界銀行や他の援助機関でなければ融資対象とならない、という考えでいたので、大恐慌の前までは、(当時の)開発途上国は民間ベースで資金調達ができていたんですね。

Morgan 今、読んでいる「モルガン家(上)金融帝国の盛衰」(ロン・チャーナウ著、日経ビジネス人文庫)には、19世紀から20世紀初頭にかけてのダイナミックな金融市場が描かれています。モルガン自身も、当時信用力が低かったアメリカ諸州の州債をロンドンの金融市場で扱うことで大きくなっていきました。

1930年代にはモルガンのパートナーがメキシコの債務問題解消を担当するほか、多額の賠償金を抱えたドイツへの債権放棄をアメリカ政府に進言したり、それがかなわないと見るやドイツ政府の資金調達を手伝ったりと、民間金融機関でありながら公的な役割も担っていたなど、興味深い内容です。

もちろん、今日公的な役割はIMFや世銀などが負っているわけですが、それはさておいても、民間ベースで途上国への金融が行われていたというのは面白い。当時に比べてさらに金融技術は発達しているわけですから、最貧国と言われる国でも何らかの手段で国際金融市場へのアクセスを得られるようにならないものでしょうか。

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