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2009年4月17日 (金)

ODAの終焉

ジャン・ミシェル・セヴェリーノ フランス開発庁総裁は、日本ではあまり知られていないと思いますが、我々が普段接しているのとは異なる視点での論評をしていて、勉強になることが多いです。

そのセヴェリーノ総裁がオリヴィエ・レイ氏とともに最近書いた「The End of ODA: Death and Rebirth of a Global Public Policy」(ODAの終焉:グローバルな公共政策の死と再生)と題した論文が面白かったです。

いわく、

  • DACの定義に基づくODAは、途上国の経済社会開発や国際的な公共政策に役に立たないようなものまで含まれている。例えばODAを実施する際の「経費」までもがODAカウントされているので、経費を削減し、実際に途上国で支出されるプロジェクトに回そうというインセンティヴが削がれている。
  • 他方で、ODAの定義には入らないけれども、役に立つ施策が排除されている。たとえば、開発NGOに対する免税は、減税という形での財政的な負担であるにもかかわらずその努力は一切カウントされない。
  • また、「保証」といったスキームも保証が実行されなければODAカウントにならない。こうした施策をODAカウントしないことが、このような有効な手段にリソースを回そうとするインセンティヴを削いでいる。
  • 目的が開発目的で、非営利なのであれば、仮にグラントエレメントが25%を下回っても適切に評価すべきではないか?
  • ODAは「投入」だけを物差しにしているが、「効果」については何も語っていない。効果を測定すべき。
  • そもそもODAはOECD各国の政府間ベースの資源移転を量るものだが、冷戦後、援助は中国やブラジル、トルコ、タイ、湾岸諸国もその量を増大させているし、民間部門(NGOやゲイツ基金)などもその金額がODAの半額を占めるに至っている。受け取る側も必ずしも政府ではなくなっている。

こうした論点を上げた上で、役に立たない従来のODA定義は放棄し、その範囲を広げて代わりに経済成長や国際公共財、基本的な福利厚生に資する支援を「Global Policy Finance」(GPF)と名づけ、量とともに成果と財政的コストを量るものにしよう、としています。

ここで言われていることは結構重要です。

なぜならば、日本も各国も「ODAか否か」で役所や実施機関の機能が規定されており(たとえばODAなら外務省・JICA、より譲許性の低い融資なら財務省・JBICといった具合に)、この仕切りそのものが、本来目的とする経済開発や国際公共財の供与にとって有効でないとなれば、新たな形、たとえばGPFに沿った組織体制に再編する必要があるからです。

外務省が最近発表した意識調査によれば、ODAという言葉を知っているのは63%に上り、ようやく浸透してきた感がありますが、時代は先を行ってしまい、ODAに代わる概念が必要とされているのかもしれません。

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