追悼 ラムタラ
ラムタラが亡くなったと知りました。
当時、イギリスに住んでいて、ダービーこそライブでの観戦はできませんでしたが、キングジョージ、凱旋門賞を見ることができたのは幸運でした。
馬格はあまりありませんが、栗毛のとてもきれいな馬でした。
キングジョージではペンタイアとの熾烈なたたき合い、凱旋門賞はフリーダムクライにいったんは交わされながらも3冠達成の瞬間を期待する観客の声にこたえるように再度伸びて1着でゴールした姿はいまでも鮮明に覚えています。
NiftyServeの競馬文化フォーラムを知ったのもそのころで、拙い観戦記を書かせていただいたことでいろんな知己を得たことも懐かしい思い出です。それ以前から競馬にははまっていましたが、海外競馬の楽しみ方や競馬を通じた人のつながりなど、私の競馬ライフに大きな影響を与えた馬でした。
なので、種牡馬として日本に来ることを知った時もずいぶんと興奮したものです。駅でスポーツ紙の見出しをみてひったくるようにして買ったのを思い出します。
心残りなのは、結局産駒に出資することができなかったことです。
メインクラブのラフィアンで産駒が募集されなかったことが大きいですね。
ユニオンは、「ラムタラキャンペーン」を開催するなど力を入れていて、計24頭が募集されていたのでチャンスはあったはずなのですが、もったいないことをしました。
ちなみに天皇賞馬ヒルノダムールの母シェアエレガンスは、ラムタラキャンペーンで募集されたうちの一頭でした。
今、あらためてユニオンの24頭を振り返ってみると、このうち11頭が勝ち上がり、出世頭のゴールデンメインは獲得賞金1億3871万円、2番手のカサロスが7800万円と、こう言ってはなんですが、ユニオンとしてはなかなかの活躍振りです。
種牡馬としては失敗、というのがラムタラの評判ですが、サンデーサイレンス全盛の時代、かつ日高の地盤沈下が顕著になり始めていた時期に導入されたのは不運でした。
日本の競走馬で初めてファンになったのがアイネスフウジンだとすれば、海外の競走馬でそれにあたるのはラムタラだったので、訃報に接するとやはり寂しいですね。
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