書籍・雑誌

2014年2月 6日 (木)

ブラックジャック創作秘話

Photo 「明日から怖いな…」と書いたら案の定(挨拶

南の島の写真なぞ掲載しているので「リア充」かと思われるかもしれませんが、普段の日は8時過ぎに出社、24時退社、ごはんはサブウェイのサンドイッチをボッチ飯、みたいな生活をしています。

まあ世の中そんな生活している人は、とくに日本にはごまんといるわけで、たいしたことないのですが、さえないといえばさえません。

そんな時に読み返すのが「ブラックジャック創作秘話~手塚治虫の仕事場から~」

天才漫画家でも不眠不休で、どんなに締め切り間近で寝てなくてもブラックジャックは一話につき必ず3本のストーリーを考え、移動中の飛行機の中でもひたすら原稿を書き続けるといったエピソードのオンパレードを読むにつけ、「ああ、手塚先生ほどの人でもこれだけ真剣に仕事にむきあっていたんだな、私のような凡人がちょっと仕事が深夜に及んだぐらいで疲れたなどちゃんちゃらおかしい」と思えてきます。

まあ、そうはいっても眠いのはつらいですが。

というわけで寝ます。

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2014年1月20日 (月)

首都圏の水があぶない

51g4qi4i8bl__ss500_ 「首都圏の水があぶない 利根川の治水・利水・環境は、いま」(大熊孝、嶋津暉之、吉田正人著、岩波ブックレット706、2007年、480円)。

同僚から「わかりやすくて勉強になる」と勧められて読んだのですが、確かに岩波ブックレットだけあってコンパクトに論点がまとめられていて、勉強になりました。

特に興味深いと思ったのは以下の点。

1.利根川水系の治水・利水は江戸時代から大規模に行われていた。

以前は利根川は東京湾に流れ注いでいたのを、「赤堀川」を開削することによって当時常陸川と呼ばれていた現利根川に流れを変えたこと、江戸川を開削することによって東京湾と鹿島灘を行き来できるようにする北関東の水運を可能としたことは、「まんが日本の歴史」で知ってはいたのですが、大人になってからその事実を改めて知ると、江戸時代ってすごいなと感心します。

2.治水を考える上での計画水量の設定の重要性

利根川の治水というと、民主党政権発足時に話題となった八ッ場ダム建設の継続可否が思い出されます。

八ッ場ダムの件の件については、かつて起きた災害(カスリーン台風)が再来しても大丈夫なように計画をたててそのためのインフラを整備するのは重要、という認識でいました。

この本によれば、カスリーン台風襲来時の最大流量は15,000㎥/秒と推定され、当該流量であれば河川改修で対応可能であるのに、現在利根川水系の治水対策の前提は、カスリーン台風と同じ雨量がふると最大流量は22,000㎥/秒に達するので、河川改修だけでは対応できず上流のダム建設で制御する必要がある、ということになっているそうです。

なぜ22,000㎥/秒かというと、「カスリーン台風当時は上流域で相当量の氾濫が生じたが、それ以降、上流部で河川改修が行われ、開発が進んだので、今同じ雨が降ると、流量が大幅に増加するから」というのが国の説明です。

他方、この本の著者は、そもそもカスリーン台風の時以外で最大流量が1万㎥/秒を超えたのはカスリーン台風2年後のキティ台風のときのみ(1.05万㎥/秒)、当時は、戦争直後で森林の伐採が大々的に行われ、ハゲ山だらけで山の保水能力が低下していたからであって、今はそんなことはない、と主張します。

計画で想定する値が異なれば対策も自ずと変わってくるわけで、さて、どちらの主張が正しいのでしょうか。

私にはどちらの主張にも理があるように思えますが、国の22,000㎥/秒という値は1980年に設定されたということですので、最新の気象データやスーパーコンピュータなどを使ったシミュレーションを行って、まず計画の前提になる最大流量に合意してから、どのような対策がもっともコスト合理性があって環境負荷も少ないか、という議論を進めていくのかな、と思いました。

このほか、首都圏の水使用量は継続的に減っており、水源開発としてのダムや堰は必要ないとか、なぜか国交省の開発は下流域の河川改修より上流のダム建設に偏っているとかの論点があり、確かに為になりました。

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2014年1月 7日 (火)

バトルプランについて

51v0tbcpr7l__ss500_ もう今年度募集中の馬たちには出資はしない(したくてもできない)のですが、今年度の募集馬のうち父にバトルプランを持っている馬が何頭かいて、どうも気になります。

バトルプランは、その父エンパイアメーカー産駒が大ブレイクしていることから注目を集めているわけですが、私が気になる理由はエンパイアメーカー直仔だからではありません。

高橋源一郎の本に「競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で」という競馬エッセイがあります(集英社文庫、定価720円+税)。

90年代半ばごろに週刊ギャロップに連載されていたものをまとめた本で、当時、自分もたまたまイギリスに住んでいて海外競馬に目覚めたころだったこともあり、一編一編、とても懐かしく読みました。

その中に「泣くなかれ、今日だけは」というエッセイがあります。

これは、94年のBCジュヴェナイルフィリーズでフランダースFlanders(父Seeking the Gold)がセレナズソングと激しいデッドヒートの末、差し替えして勝利したときのことを書いたものなのですが、そこにはこう書いてあります。

 「すげえ」ジョーは興奮しきった顔で呻いた。観客席も記者席も一様に、いま眼前で繰り広げられたレースの凄まじさにただ茫然としているだけだった。そして、人々はフランダースの凱旋を、盛大な拍手で迎えようと、2コーナーから1コーナーの邦楽に視線をやった。だが、いま戴冠したばかりの女王は帰ってこなかった。
 「見ろ」記者の誰かが叫んだ。私たちは双眼鏡を覗いた。向う正面でパット・デイがフランダースから下馬し、心配そうに様子を窺っているのが見えた。
 「骨折だ」
 競馬場に静寂が訪れた。私たちは馬運車がフランダースを運び入れ、立ち去るのを黙って見た。それはよく見かける光景だった。だが、いつまでも慣れることのできない光景でもあった。(後略)

私はこのエッセイを読んで、てっきりフランダースのその後は悲しいものだと思いこんでいたので、バトルプランの血統表に「フランダース 1992」の文字を発見したときにはちょっと興奮しました

フランダース、無事に繁殖入りしていて、しかもバトルプランという活躍馬を産んでいたんだなあと。

うう、こう書いているとバトルプランの子がなんだかほしくなってきたぞ。ユニオンで募集中の「バトルプラン×クリスエスマーチ」 という牡馬がいるのですが、馬格があるうえに馬体のバランスがすごくいいんですよね。

なになに、近況によれば、「馬体重は500kg台の大型馬であるが、とても素軽い走りを見せている。騎乗者は「身のこなしが良く、キャンターを乗るのが楽しみ」と期待を寄せている」とな。一口48,500円か…。

おっと、これ以上カタログを開いて考えていると危ないので、閉じて寝ます(笑)。

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2014年1月 6日 (月)

偽りのウイナーズサークル

51yauycsj2l__ss500_ 久しぶりに手にした競馬小説でしたが、飛行機の中で一気読みしました。

著者は新聞記者で競馬も担当されていたことがあり、きっとそのころに見聞きしたものやご自身で経験されたことをもとに書いておられるのでしょう、小説につきものの「作り物」感はなく、これって本当に誰かがそう言ったのじゃないか、というようなリアルなセリフもあります。

読んでいると、コンサイナーや育成牧場、日本馬の海外G1挑戦などトピックは幅広く、宮本輝の「優駿」の時代とは大きく日本の競馬も変わったのだなあと、小説を通じて実感しました。

ジャンルとしてはミステリ小説に分類されるのだと思いますが、すみません、ミステリとしては、種明かしで明らかにされる前提がやや非現実的で、他の部分がリアルだけに違和感があったのですが、しかし最後の種明かしがなされるまではぐいぐい読ませますし、手に取って損はないと思います。

「偽りのウイナーズサークル」 (本城雅人著、徳間文庫、704円)

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2011年12月 7日 (水)

危機の指導者 チャーチル

現役の外交官が著した『危機の指導者チャーチル』(冨田浩司著、新潮選書)を読みました。

元々チャーチルは、かつて読んだ本の中にあった「暗闇が一番深いときが最も暁に近い」という言葉が好きで(仕事が辛いときに何度この言葉を反芻したことか)、以前、チャーチル家の邸宅を訪ねたこともありました。

この本は、フォーサイトで勧められていたので読んだのですが、読みやすく、また青年時代や第一次世界大戦の頃のチャーチルの姿も描かれていて確かに読む価値がありました。ところどころに出てくるチャーチルの著書からの引用や演説にも勇気づけられるものが多いです。

個人的に特に印象に残ったのは、最終章「指導者とは」にある著者による次の一節。

それだけに英国において権力の座に上り詰め、そこに留まるためには厳しい試練が待ち受けている。党内に信望を築き、的確な行政手腕を示し、成熟した世論の精査に堪え、議会での論戦に勝ち抜き、選挙に勝利するー指導者の地位は、これらのことをすべて成し遂げた者だけに約束される。

これを読んで、どこかの国に引きつけて考えてみると、傍目には、党内はばらばら、行政手腕は官僚を信頼せずに停滞、世論には迎合し、議会では論戦を避けて重要法案が通っていなくても会期延長をしない、そういう風に見えます。

政治家にはもっと頑張って頂き、政治という本来業務をしっかりと行って頂きたいと改めて思いました。

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2011年11月 9日 (水)

バケネズミ

Newworld貴志祐介の「新世界より」を読みました。

いやあ、これはすごかった。こんなすごいSFは久しぶりに読みました。

通勤途中に我を忘れて読めるか? が私のすごい本の尺度なのですが、まちがいなく我を忘れて小説の世界に没頭できます。

舞台は未来、キーワードは、超能力が使えるミュータントとハダカデバネズミが進化したと思われる人語を喋る「バケネズミ」なのですが、前半はジュヴナイル小説の趣もあり、不思議な雰囲気な小説だな、と思って読んでいるうちに話がどんどん展開していきます。

最初は主人公たちの視点から物語を読んでいるのですが、知らず知らずのうちに「バケネズミ」にも感情移入していて、そこで訪れるラストに思わず「あっ」と言ってしまいます。

日常を忘れたい方にお勧めです。

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2011年8月 6日 (土)

ヤバい統計学

Photo 「ヤバい統計学」(カイザー・ファング著、矢羽野薫訳、阪急コミュニケーションズ)を読みました。

統計学が行政や公衆衛生、ドーピング検査、災害時保険といった事柄にどのように応用されているかを分かりやすく解説している本です。

パクリのような邦題タイトルがついていますが、本の内容は極めて真っ当で、あえてこのような書名にしなくてもよかったのではないかと思います。まあ、そうはいっても私もタイトルから「ヤバい経済学」級に面白いのかと思って手に取ったクチではありますが・・・。

統計学者は、平均よりもバラツキを重視して高速道路の渋滞やディズニーランドの混在解消に役立てていることや、カナダの宝くじ売り場の人間の当選率が異常に高いことを統計学的に明らかにして立件する話など、物事の「舞台裏」をみる面白さがあります。

出張前に空港の売店で買い、飛行機のなかで読んだことから、航空機事故にかかる章が興味深かったです。それによると、先進国の航空会社と開発途上国の航空会社では、前者の方が安全だけれども、先進国の航空会社と競合している路線では、事故の割合は変わらないとのこと。

これは競争の原理がそうさせていると推定されていますが、本書ではその原因までは深く言及されていません。ただ、途上国に行く機会の多い私としては示唆に富む内容でした。

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2011年5月 4日 (水)

人はなぜテロリストになるのか

Photo 国際テロ組織「アルカイダ」の首謀者、オサマ・ビン・ラディン容疑者が米軍により殺害されました。

これによって各地のテロがすぐに無くなるものではないでしょうが(「これで安堵した」とインタビューに答える米市民の心情はわからなくもありませんが、お気楽な印象は否めません)、他方、今年に入ってからの「アラブの春」の影響を受けてテロに傾倒していく層というのは、減少していくように思われます。

「テロの経済学 人はなぜテロリストになるのか」(アラン・B・クルーガー著、藪下史郎訳、東洋経済新報社、2000円)という本があります。

この本の主張は、テロは貧困が生む、とよく言われるけれども、実証データはそうした通説を裏付けていない、というものです。

実証データから明らかになったテロに関する事実とは、以下の通りです(本書の内表紙より)。

  1. テロリストは十分教育を受けており、裕福な家庭の出である傾向がある。
  2. 社会で最高の教育を受けている人や高所得の職業についている人の方が社会的に最も恵まれない人たちよりも過激な意見を持ち、かつテロリズムを支持する傾向がある。
  3. 国際テロリストは、貧しい国よりも中所得国の出身である傾向が強い。
  4. 市民的自由と政治的権利が抑圧されているとテロに走りやすい。

その上で、本書では「テロは、犯罪行動よりもむしろ投票行動に似ている。」としています。

今年に入りチュニジアのジャスミン革命から各国に飛び火したアラブ世界の民主化の動きにより、上記の4.にある「市民的自由と政治的権利が抑圧されている」状況に変化が見られます。

政治的に声をあげたければ、Facebookを使ったり、街頭でデモを行ったり、独裁政権が倒れたチュニジアやエジプトでは投票によって自分の政治的意思がテロ以外の方法で表明できるようになったのです。

中東地域の民主化プロセスはまだ途上ですが、この民主化プロセスがうまく軌道に乗るのか、人々の「権利をはく奪されている」という意識を変えるものになりえるかどうか、そしてそれがテロといった過激な行動を抑制するかどうかについて、注目したいと思います。

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2011年5月 2日 (月)

中東情勢が気になる方への一冊

Middleeastcrisis 「中東 危機の震源を読む」(池内恵著、新潮選書、1500円)

なかなか落ち着きをみせない中東情勢ですが、国により歴史的経緯や政治情勢が異なり、普段からフォローしていない人にはなんだかよくわかりにくいのではないでしょうか。

私も、新聞報道は追いかけているつもりですが、どうもすっきりわかったような気がしません。

そこで手に取ったのが標記の本だったのですが、すばらしい、の一言です。なぜ、この本をもっと前に読まなかったのかと後悔しました。

内容は、著者が新潮社の国際情報誌「フォーサイト」に連載していた記事になっていますが、中東専門家向けに書かれたものではないだけに、ひとつひとつの記事のなかで事案の背景説明がなされていて、門外漢でも情勢が把握できるようになっています。

また、特に優れていると思うのは、今後の展開について、その時々の情報に基づいて予測を試みていて、次の展開を読む座標軸を読者に提供していることです。

著者のフォーサイトでの連載はまだ続いていると知って、何の迷いもなく月会費800円を払ってフォーサイトの購読者になりました。

そこに書かれている、1月のチュニジアのジャスミン革命以後の中東情勢にかかる分析と見解は、まさしく感動ものです。

いや、本当、読むべきですって。声を大にしていいたい。

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2010年5月 4日 (火)

「ジャパン」はなぜ負けるのか

Why_japan_lose 「「ジャパン」はなぜ負けるのか 経済学が解明するサッカーの不条理」(サイモン・クーパー、ステファン・シマンスキー著、森田浩之訳、NHK出版、2000円+税)を読みました。

いやあ、これは面白い。

マネー・ボール」のサッカー版といった趣ですが、取り上げているトピックの話題が幅広く、結構分厚い本ですが、すぐ読み終わってしまいました。統計から我々が持っている常識を覆すプロセスは非常に面白いです。まあ、私がこういう類の本が好きというのもありますが。

サッカーの国際試合における得失点差は、統計の「重回帰分析」をしてみると「国際試合の経験数」、「国の人口」、「所得水準」の3つの「リソース」と相関があるそうです。それを日本に当てはめてみると、日本は人口、所得水準でアドバンテージがある一方、国際試合の経験数でハンディを負っている(欧州の国は700試合以上の経験があるのに対し、日本は341試合)そうです。

重回帰分析の結果は、日本は1試合あたりの平均で対戦相手を0.75ゴール上回っていておかしくないということなのですが、実際の結果(1980年~2001年)の実際の戦績をみると0.56ゴールしか上回っていない。統計分析からは、持っているリソースから判断して日本はもっとやれてよいはず、ことになります。

では、日本代表が成績を上げるにはどうしたらよいか。

著者は、日本が現在サッカーの先進地域である西ヨーロッパ(ワールドカップの優勝国も多くがこの地域から出ていて、ブラジルでさえも西ヨーロッパのサッカースタイルを取り入れようとしている)のネットワークから地理的に離れていることをハンデとして挙げます。

そして韓国やオーストラリア、トルコ、ギリシアが西ヨーロッパ出身の指導者を招き入れることによって、それまでのサッカースタイルを変え、それが躍進につながったことを述べています。

日本代表が決定力不足であることの原因を日本の国民性に求める論調についても、別に日本が特殊なわけではなくて、トルコやギリシャにも特殊性はあったが、それは克服可能であることはこうした国々が証明済で、そうすればサッカーの周辺国であった日本が他のサッカー新興国(人口が大きく、所得水準も一定水準をクリアしている)オーストラリアやロシア、やがては中国とともにトップクラスの国になる可能性がある、ということが書いてあります。

私はサッカーには詳しくないので、この主張が正しいのかどうか(西ヨーロッパの指導者を招けば強くなる?)はわからないのですが、韓国やトルコ、ギリシャの例を挙げられると、ふうむ、と思ってしまいます。

あと印象に残ったのは、ワールドカップや欧州選手権が開催され、それに代表チームが参加した年は、各国とも自殺者の数が減っているという統計。これは、チームの活躍とはあまり関係なく(すぐ敗退したからといって自殺者は増えない)、著者たちは、代表が出場することで人々は「帰属意識」や「周囲との一体感」を持ち、それが命を救っていると分析しています。

本書では、自殺者とワールドカップへの代表チームへの出場にかかるデータはないのですが、今年の日本ではどうでしょうか。日本をひとつにするような活躍を日本チームがしてくれることを期待したいと思います。

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